7月30日、円相場が急に動きました。
1ドル163円前後だったところから、一時157円台へ。
さらに翌31日にも円買い介入があったと報じられ、1ドル159円台前半から157円20銭付近まで、1時間弱で約2円も円高が進みました。
普段はじわじわ動く為替相場が、突然、
「はい、ここから円高です」
とエレベーターに乗ったような動きです。
ここで気になるのは、円買い介入の仕組みよりも、
なぜ、この日だったのか。
なぜ、この時間だったのか。
というところです。
政府・日銀は、思いつきで「今日、円を買おうか」と決めたわけではなさそうです。
むしろ今回の介入、かなり待っていた感があります。

ドルが少し弱るのを待つ。
市場から人が減るのを待つ。
米国が動くのを待つ。
そして、条件がそろったところで、
今です。
今回は、そんな円買い介入の「タイミング」に絞って見ていきます。
為替介入は、金額だけの勝負ではない
円買い介入とは、ものすごく簡単に言えば、政府がドルを売って円を買うことです。
円を一気に買えば、円の値段は上がりやすくなります。
ここまでは、わりと分かりやすい。
ただし問題は、為替市場がとんでもなく大きいことです。
7月30日の介入額は、市場の推計で6兆円から7兆円規模とされています。
6兆円。
数字が大きすぎて、もはや「多いですね」以上の感想が出ません。
しかも、4月末から5月に行われた分と合わせると、2026年の介入額は約18兆円に達した可能性があります。過去最大だった2024年の年間約15兆円も、すでに上回ったかもしれません。
とはいえ、お金は無限ではありません。
6兆円あるからといって、毎朝、
本日も円を買っておきました
とはいきません。
だからこそ、介入はいつ使うかが大事です。
強い向かい風の中で6兆円を投げるより、追い風が吹いた瞬間に投げたい。
今回、政府・日銀が待っていた追い風は、主に3つありました。
その1 ドルが先にちょっと弱っていた
まずは、ドルの様子です。
介入の直前、米国ではドルが売られやすくなる材料が重なっていました。
ひとつは、米国の金利です。
FOMCとFRB議長の記者会見を受けて、「米国は思ったほど積極的に利上げしないかもしれない」という見方が広がり、米2年債の利回りが下がりました。
米国の金利が高ければ、
ドルを持っていると利息が多くもらえそう
と考える人が増えます。
逆に金利が上がらなそうなら、
あれ、ドルをそんなに持たなくてもいいかも
となります。
さらに、米国のPCE物価指数も発表されました。
PCEは、Personal Consumption Expendituresの略。日本語では「個人消費支出」といいます。
名前は少々いかついですが、要するに、
アメリカの人たちが買うモノやサービスの値段は、どのくらい上がったのか
を見る数字です。
今回は、食品とエネルギーを除いた物価の伸びが予想より弱めでした。
物価が落ち着いているなら、FRBが急いで金利を上げる理由も薄くなります。
すると市場は、
金利が上がらないなら、ドルをそんなに買わなくてもいいかも
と考えます。
ドル人気が、ほんの少し休憩に入ったわけです。
つまり、日本政府が介入する前から、ドルは少しふらついていました。
そこへ、まとまったドル売り。
元気いっぱいの相手に正面からぶつかったというより、
ちょうどよろけたところに、もう一押し。
なかなかタイミングを見ています。
その2 市場の「閉店間際」を狙った

31日の介入があったとされるのは、米東部時間の午後4時過ぎです。
外国為替市場は、金曜日の午後5時ごろから週末の休みに入ります。
つまり、かなり閉店間際です。
この時間になると、取引を終えて市場から離れる人が増えます。
言い換えると、市場に残っている参加者と注文は減っていきます。
みんながパソコンを閉じ、上着を着て、
では、よい週末を
と言い始める時間です。
市場ではこれを「流動性が薄い」と言います。
言葉は難しそうですが、要するに、
人が少ない。
人がたくさんいる時間帯なら、大きな売買をしても、ほかの注文に吸収されやすくなります。
でも、人が少ない時間なら、同じ金額でも相場が大きく動きやすい。
満員のプールに飛び込むより、誰もいない小さなプールに飛び込んだ方が、水は派手に揺れます。
政府・日銀は、その小さなプールになる時間を待った可能性があります。
市場参加者が意識していたのが、1ドル158円程度にあった「200日移動平均線」です。
これは、過去200日間の平均的な為替水準を表す線です。
投資家の間では、
この線を越えると、これまでの流れが変わるかもしれない
と判断する目安のひとつになっています。
31日の昼間にも円高へ動く場面はありましたが、158円付近まで来ると、何度か押し戻されていました。
円がドアを押しても、
ここから先は通しません
と返されていた状態です。
そこで市場参加者が減る時間まで待ち、最後にもう一押し。
158円の壁を越えて、157円台で週末の取引を終えました。
なぜ、週末前が大事なのでしょうか。
為替市場が閉まれば、その水準が週末の終値として残ります。
しかも今回は、多くの投資家が見ている200日移動平均線を円高方向へ越えた状態です。
市場の人たちは土日の間、
円安の流れが、そろそろ変わるのでは?
と考えることになります。
翌週も気軽に円を売ってよいのか、少し迷わせることができます。
つまり、ただ157円台に到達したかったのではありません。
「円安の流れが変わったかもしれない」という宿題を、市場に渡して週末に入りたかった。
そんな狙いがあったのではないか、という見方です。
そこで取引が少なくなるのを待ち、最後にまとめて押した。
するとドアが開き、157円台へ。
偶然にしては、なかなかきれいな時間です。
その3 今回は米国が後ろにいた

今回、もうひとつ大きかったのが米国です。
米財務省はニューヨーク連銀を通じて、複数の銀行に、
今日、円買い介入があるかもしれません
準備しておいてください
と伝えていたと報じられています。
米当局関係者も、日本経済新聞の取材にこの連絡を明らかにしています。
さらにニューヨーク連銀は、ドルと円だけでなく、ユーロと円の取引についてもレートチェックをしたとされています。
これは異例の対応です。
レートチェックというのは、銀行に現在の取引価格を確認することです。
まだ実際に介入したわけではありません。
でも市場の人たちは、
え、これ本当に来るやつ?
となります。
レストランでいうと、まだ料理は出ていないけれど、店員さんがテーブルを片づけ、ナイフとフォークを並べ始めた状態です。
何かが来る。
しかも今回は、日本だけではなく米国も店内にいる。
この「米国も見ていますよ」という雰囲気だけでも、ドルを買って円を売っていた人にはプレッシャーになります。
介入は、実際に動かしたお金だけで相場を動かすわけではありません。
市場の人に、
逆らうと、もう一発来るかもしれませんよ
と思わせるのも、大事な仕事です。
ところで、なぜ米国が円を応援するのか
では、なぜ米国まで日本の円買い介入を後押ししたのでしょうか。
もちろん、米国が突然、
円を守ってあげよう
と立ち上がったわけではありません。
米国にも、きちんと自分たちの事情があります。
米国にも事情があります。
日本の生命保険会社などの大きな投資家は、これまで米国債をたくさん買ってきました。
日本の金利が低かったので、米国で運用した方が利益を得やすかったからです。
ところが、日本の金利が上がり、円安も進むと、
わざわざ為替のリスクを取って、米国債を持たなくてもよくない?
となる可能性があります。
日本の投資家が米国債を売れば、米国債を買う人が減ります。
すると米国の金利が上がりやすくなります。
米国としては、これ以上金利が上がるのは困ります。
記事では、米国が円買い介入を後押しする理由として、円安と日本の金利上昇が米国債市場に影響し、米国の金利まで押し上げる可能性が挙げられています。
つまり米国は、
日本の円安、大変ですね
と遠くから見ているのではなく、
その円安、こちらにも飛んできそうなんですが
という状態です。
今回は日米の利害が、ちょうど同じ方向を向きました。
今回の介入、かなり段取りがよい
ここまでを並べると、今回の流れはこうです。
米国の金利と物価の発表で、ドルが少し弱る。
金曜日の夕方になり、市場から人が減る。
米国がレートチェックを行い、介入の可能性を銀行に知らせる。
そこで、日本政府がドルを売って円を買う。
ドル、少し弱る。
市場、人が減る。
米国、後ろに立つ。
日本、押す。
なかなかのチームプレーです。
もちろん、政府が公式に、
今回はこの4段階でいきました
と説明したわけではありません。
ただ、実際の時間帯や市場の動きを見ると、介入の効果が出やすい条件を待っていた可能性は高そうです。
今回の介入は、巨大なお金で市場を無理やりねじ伏せたというより、
市場が動きやすい瞬間を待って、そこをピンポイントで押した。
そんな印象があります。
では、これで円安は終わるのか
残念ながら、ここで最終回とは限りません。
介入は、短時間で円相場を大きく動かせます。
ただし、日本と米国の金利差など、円安のもとになっている条件まで、一気に消せるわけではありません。
介入は、下り坂を走る自転車のブレーキです。
一度スピードを落とすことはできます。
でも坂道そのものが続いていれば、ブレーキを離したあと、また進み始めるかもしれません。
今後の注目は、日本銀行の金利政策と、米国が本当にドルを売る「協調介入」に参加するかどうかです。
ただし、協調介入は簡単ではありません。
過去に行われた1998年の金融危機や2011年の東日本大震災ほどの危機的な状況ではないため、実現のハードルは高いとの見方もあります。
いまの米国は、リングの外から声をかけている状態です。
一緒にリングに上がるかは、まだ分かりません。
為替介入は「いくら」より「いつ」を見ると面白い
為替介入のニュースでは、
何兆円使ったのか
に目が行きがちです。
もちろん、それも大事です。
ただ今回を見ると、同じくらい重要なのが、
いつ使ったのか
でした。
ドルが弱り始めたとき。
市場から人が減ったとき。
投資家が気にする158円付近へ来たとき。
そして、米国が動いたとき。
政府・日銀は、円だけを買ったわけではありません。
円がいちばん動きやすい瞬間も、まとめて買った。
そう考えると、今回の介入は少し違って見えてきます。
